これは中学生の時の話です。
unnamed (30)

その年の夏は、夜になってもじっとりと汗が滲む様な暑い夏でした。
学校の中でじっとしていても身体から脂っこい汗がちりちりと身体から吹きこぼれる様な毎日。
夏休みの前日、僕と友人五六人は冗談半分に「暑気払いの肝試しをやるぞ」と、言っていました。

「肝試し?どこでやるのさ」

「あそこはどうだよ、お前の家からずっと行ったとこにある墓地は?」

「違う、違う。あそこは無理だ。坊主が夜は門を閉めちまう。もっとあるじゃん、近くに」

「どこさ」

「どこもなにも学校にあるじゃんか。あの……ほら」

「飛び下り幽霊!」

「そう、飛び下り幽霊!いっこ上の教室だぜ」

「ちょっと待てよ。あれ、嘘だって聞いたぜ」

「嘘かどうか確かめるんだよ。おめぇ、逃げんなよ!」

学校の怪談、というものが僕の学校にはいくつかありました。
トイレに、体育倉庫に、地下倉庫に。
いずれも幽霊が出て来るだの連れ去られるだのそういう話です。
それらの話の中でとりわけ地味で、面白みの、いや、怖さのない話が

『戦時中、この世の不幸を嫌ってこの校舎の4階から飛び下りた少女が未だに出る』

と、いう話でした。
その少女が、何をするとか誰なのかという話は伝わってはいません。
……ただ、出るだけだそうです。

その日は特に暑い日だったのを未だに覚えています。
「茹だる」という表現に沿う暑さでした。
絡み付く、湿気を含んだ熱気が呼吸さえも鬱陶しくするくらいに。
夏休みの初日といえど、その暑さで僕は外に出る事はしませんでした。
とはいえ、屋内にいれば汗をかかないかといえばそうでもなく、団扇と扇風機を存分に使いながら、なおじんわりと染みでる汗を全身に纏い、寝転がっていました。

いつの間にかうたた寝をしていたのか、気が着けば大気が紅く染まっていました。
僕は寝汗でベタベタする身体をシャワーで洗い流し、幾分か涼しくなった風を浴びて学校まで駆けて行きました。
湿った髪が夏の涼風に流され、シャツの隙間を抜ける風は昼のそれとは違うものの様です。

僕らは夕暮れ過ぎ(およそ6,7時でした)に集まると宿直の先生に忘れ物を取りに来たと嘘をつき、まんまと忍び込みました。
階段を駆け昇って行くとき、僕達のテンションはひどく高くなっていました。
これから起る事に対する期待と若干の緊張は、僕らを煽ってあまりあるものでした。
僕らは互いに触発される様に興奮しあい、階段を全力で掛け昇り、息を切らしながら4階の踊り場につきました。

廊下は暗く長く、灯は非常灯だけで廊下の端と端に二つだけぽわっと灯っているだけです。
僕はその長い長い廊下の奥に嫌な物を感じました。
廊下の終わりがひどく遠くにある様な錯覚……
それは、僕から伝播したのか、或いは皆から僕に移ったのか、全員が手の出せない不安になぜられた様でした。
しかし、それは僕らの興をそぐものではありませんでした。

「……おまえ、先に行けよ」

「お前が行けよ!!」

「やめろよ。お前が言い出したんだろっ!お前が先頭だっ」

「あっ!お前押すな!」

「こいつ、へっぴりごしだぜ!」

僕らはキャッキャッとふざけあいながら廊下を進んで行きました。
……一クラス……二クラス……そして、4階の例の教室に行くと人影がありました。
少女です。

僕らは恐ろしくなって、その反面、好奇心もわき、じっと見て動けなくなっていました。
おかっぱよりも少し伸びた黒髪、セーラー服……顔は……思い出せません。
少女は窓際の机でひっそりと座っていました。右手に緑の鉛筆を持って。
僕らがしばらくそうしていると、どうも幽霊等では無い様な気がしてきました。
こんな「実在的」な幽霊がいるものだろうか。
安堵が僕らの中に生まれて来ました。
補習だろうか?机で何か書き物をしている。
僕が、扉の外にいるのも気が引けると思い教室の中へ入ろうとした時、突然、彼女は泣き出しました。
そしておもむろに立ち上がると窓縁に思いきり突っ伏したのです。
「危ない!」と止めに行こうと教室に駆け込みました。
僕に続いて皆、飛び込んだのですが、しかし僕らの手が届くずっと以前に飛び下りてしまったのです。

僕は「しまった」と思い、急いで窓際まで駆け寄り下を見ようとしました。
窓から顔を突き出そうと勢いに任せて窓縁に駆け寄ったその時、



今、此処から飛び下りたはずの少女が僕らの目の前を真っ逆様へ落ちて行ったのです。



「……あ。…………」

僕らは最初、状況が飲み込めませんでした。
今、降りたはずの少女が上から降ってくるなど……。
気が付いたら僕らは逃げ出していました。
無我夢中で走り回っているその半面で、いやに冷静にあれはなんだったのか。
どうして今、飛び下りた少女が 僕の目の前を落下して行くのか。
僕の目の前を落ちて行ったのか……

そのまま、夏休みは始まり、何だか夏休みのテンションにその出来事は覆い隠されてしまいました。
……いや、これは嘘かもしれない。
僕らが覚えてもいたくなかったのかもしれない。
無かった事にしたかったのかもしれない。

さて、夏休みも開けます。
幾日かたった時、学校に行くとフと先生がこう言う話をしました。
(それは確か村八分の話をしていた時だったと思います)

「学校が建ったのは戦後大分建ってからだ、ここは海を開発した土地だから変な因縁も無いんだな」

「先生。戦時中もここの校舎はあったんじゃないんですか?」

「ない、ない。ここは海だったよ。まったくの海」

また、続けてこうも言いました。

「この学校の在学中でも卒業後にでも訃報はまだ一つも無いんだよ。新しい証拠だ」

「先生、訃報ってなんですかぁ?」

「ああ、つまり、この学校にいた時も卒業した後も誰一人として死んでないって事だ」

ぼくは頭の中に渦を巻く何かに意識を奪われそうになりました。
……おかしい、おかしい。これは、おかしい。……じゃあ、あれは?
僕は、おかしいのか?いや、しかし、僕は見たのです。間違いなく見たのです
そう、僕は確かに見たんです……古惚けたセーラー服の少女を。
確かに見たんです、よく覚えています。

だって、上から降ってきた少女の逆様の目と目が合ってしまったんですから。 


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