8年前私が体験した話です。
大学を卒業して獣医師免許を取ったばかりの頃のお話。
Horror Cam Pic (3)

少し長くなりますが、ある出来事が有り今回一区切りとして、今一度あの体験を思い出し書いていきたいと思います。
よろしかったらお付き合いください。



私は大学附属の動物病院に勤務していた。大学附属と言っても動物病院なんでそんなに大きい施設ではなかったが。
私の上司に当たる獣医師は、

「獣医師業務は慈善事業でも、野良犬・野良猫の保護でもない。そのへんにいる動物を片っ端から助けていたら破産する。ただでさえ給料が少ないのだから利益をいかにして出すか。獣医師はビジネスだってことを忘れるな。」

そんなことを常日頃から言っている人だった。
何となく大沢たかおに似ていたため以下大沢とする。



大沢は私の10歳年上の所謂中堅ポジションとして病院では活躍していた。
「獣医はビジネス」という考えが理解できなかった私は大沢が大嫌いだった。
しかし、それが病院の理念でもありほとんどの獣医師がその理念のもと働いていた。

もともと動物が好きで獣医師を目指してきた私にとっては病院が掲げるその理念は衝撃的であった。
もちろん動物が好きなだけではこの仕事が務まらないのもわかっていたし、獣医師は法律上人間のために存在する資格であることもわかっている。
しかし、私の中での獣医師像とはかけ離れた「ビジネス、利益至上主義」のその病院のことは、どうしても好きになれなかった。

例えば、治療で使う抗生物質一つでも、より高価なものを選択する。
考えてみて欲しい。
自分がとても可愛がっている家族同然のペットが、大きな病気やケガをしたとき藁をもすがる気持ちで、少しでもいい治療を受けられるよう病院に連れてきたのに、必要のない薬や高価な薬を勝手に使われ高額な医療費を請求される。
飼い主さんにとっては「ただこの子を助けたい」という思いだけなのに、そんな気持ちを踏みにじるような治療内容であることも少なくはない。

私はそんな動物病院の体制に嫌気がさしていた。
もうこの上司の下ではやっていけない。
こんな仕事やめて、ボランティア団体に行ってみようか。
最初はとにかく辞めたくてしょうがなかった。

そんなある日の深夜、一人の老婆が訪れた。
19歳になる猫の様子がおかしいので連れてきたと言うのだ。
猫は可愛らしい顔をしたアメリカンショートヘアー。
診察の結果腎臓が悪く、急に昏睡状態に陥ったようだ。
 
私はその日、経過が気になる犬がいたので徹夜で様子を見ていた。
獣医は私と大沢の二人。
大沢はあからさまに嫌な顔をしていた。
仕方がないので私が診察に当たり、現在の状態を説明。
「詳しい検査もあるので今晩は預かります。詳しく検査をしてみないと今後の治療方針も決まらないのでまた明日、お迎えに来てください」と老婆に告げた。
老婆は分かりました、とポツリと言い残し去っていった。

翌日、猫は未だに昏睡状態。
詳しく検査した結果、腫瘍が全身に広がっていることが発覚した。
おそらくひどい痛みに耐えていただろう。
腎不全のため心臓も弱っていた。
19歳という年齢も考慮して、痛みを最小限に抑えてあげて、お家で飼い主さんと最期の時を過ごしてもらうのが最善だろうという結論に至った。
そのことを老婆に告げると、色々準備をするのでもう一日預かってくれと言われた。
私は快諾した。
その日の夕方猫が目を覚ました。
痛々しい姿ではあるが飼い主を探すような仕草をして「ニャーン」と鳴いた。
私はひと安心し自宅に帰った。

翌日、休みだった私は夕方まで寝ていた。
すると大沢が大声で怒鳴り電話をかけてきた。
何事かと聞いてみると、なんでも猫の飼い主と連絡がつかないらしく、治療費を踏み倒されたらしい。
最初に名前と住所と電話番号を書いてもらっていたのだが全てデタラメだったのだ。
まぁ珍しいことではないんですがね。

とりあえず明日まで待ちましょう、と言い電話を切った。
翌日出勤してもまだ猫のお迎えは無かった。大沢は
「無料で治療は出来ない。可哀想だがこのまま投薬をやめて死ぬのを待つしかない。」と言っている。
私は猫の顔を見ていると何だかとても悲しい気持ちになった。

「私が看ます!」
勢いで言ってしまった。
今考えると、獣医師としてのプロ意識が足りないと思うし、正直考えられない行為だ。
なんでそんなことを言ってしまったのかわからない。
でも何だかこの猫を見捨てることがどうしても出来なかったのだ。

その日から、私は仕事以外の時間を全部猫の面倒を見るために使った。
数日間は病院に入院させてもらい、
病状が落ち着いてから家に連れて帰り点滴、投薬をした。
とにかく痛みを取り除くために手を尽くした。

そんなある日、仕事が終わり家に帰るとなんと猫が立ち上がっていた。
病状は改善はしないものの痛みが和らいだため、動くことができるようになっていたのだ。
餌も柔らかいものなら食べられる。
一安心だ。あとはこの猫のそう長くはない余命を、幸せに全うさせてあげよう。
そんなことを思っていた。

次の日、私にとって忘れられない体験をすることになる。
事前に言っておくが、これは色々な人に話しても誰も信じないし、絶対にありえない。
お前、人間の病院に行ったほうがいいぞと言われるほどブッ飛んだ体験だった。

簡潔に言うと、猫が喋ったのだ。
帰ってすぐ電気もつけずに「ただいまー。具合はどうだい?」と何となく話しかけた。
すると猫が「腹減った」っと言ったのだ。
私は耳を疑った。
「え??喋った?」
猫は続ける。
「腹が減った」
私はびっくりして言葉が出なかった。
それから猫は良く喋るようになった。

猫は飼い主のこと、猫の気持ちなど色々な事を喋った。
不思議だったのが、私の知らない病院内の事情を教えてくれること。

それは決まって寝るとき電気を消してから一方的に喋るのだ。
私が話しかけても返事はない。
「あの婆さんは俺がいらなくなって捨てたんじゃない。生活に困っていて俺を助けるために捨てたんだ」
「お前の上司、実はそんなに悪い奴じゃないぞ。よく見てみろ」
「俺たちに餌をくれる女。病院でタバコ吸ってるぞ」
「病院にいた毛の長い猫。あいつは気に入らない」
「病院にいた犬。あいつは元気になる」
「お前がくれる餌はマズイな」
「人間が思ってるほどまたたびは好きじゃない」

特に病院スタッフの話はよくしていた。
この時は大沢がいいやつなんて半信半疑で「あんな冷血漢になんでこんなに肩入れしているんだろう?」ぐらいにしか思わなかった。

中でも女性スタッフの院内での喫煙は大問題になった。
猫が言っていたことが本当なのか確かめたくなり、翌日こっそり女性スタッフをのぞき見してしまった。
すると個室に入ったスタッフは本当にタバコを吸っていたのだ。
彼女は10年近く働いている、所謂お局さん。
私なんかが指摘したら後の仕打ちが怖い。
とにかく上司に報告し注意してもらった。
酸素を使っているのも知っているはずなのに、一体何を考えているのか。
それから程なくしてお局さんは辞めた。

それにしてもよく喋る猫だ。
時には私の悩みを見透かしたように
「そんなに背負い込むな。俺らはお前が思っているより強い」
「可哀想なんて思うな。俺らは幸せだ」
「人間はいつも忙しいな。そんなに急ぐな」
「気まぐれで俺らを助けるな。死んだ方が幸せな奴らだっている」
「現実が残酷なのは当たり前だ」
「上司をもっとよく見ろ。お前はアレみたいになりたいんじゃないのか」
「お前は何も知らないんだな」
「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」
「目に見えないものこそ今のお前には必要だ」
「たまには気晴らしに散歩でもしてこい。散歩はいいぞ」

猫は私の事をよく知っていた。
人の嫌な所ばかり見て、自分の理想を追いかけ、現実は残酷だと嘆いているだけ。
この日ばかりは電気を消したまま、酒を飲んだ。

そしてそれから数日後猫は息を引き取った。
最期はとても安らかであった。
猫は亡くなる前日の晩「世話になった。ありがとう。幸せになれ」と一言だけ言った。
私は涙が止まらなかった。
たった一週間ほどの時間が私にとっては人生を変える時間となった。

当時の私は自分の理想とする獣医師になりたかった。
小さい頃から夢見ていたただひたすらに優しい獣医師に。
しかし、現実は甘くない。
一匹一匹の患畜に感情移入しすぎる私に大沢は

「プロ意識を持て。全ての動物を救えるなんて思うな。動物は人間とは違う。病気になって病院に連れてきてもらえる動物なんてひと握りなんだ。動物が病気になったから獣医に連れて行くのが当たり前だなんて思うなよ。昔よりはだいぶマシにはなってきたが、未だに動物にそんなにお金をかけるなんて考えてない飼い主は多い。人間にとって動物は所詮動物だ。どんなに俺らが頑張っても無責任な飼い主は減らない。だから虐待されたり、捨てられたりする動物も減らない。それを全部助けようなんて一生かかったって無理だ。俺だってできる限り助けたい。でも治療費を払うのは飼い主だ。ペットの生き死にを決めるのは飼い主なんだ。」

と悔しそうに言っていた。
猫の言っていた通りだった。
大沢はよくわかっている。
死と向き合うことから逃げていたら一人前の獣医にはなれない。
私は覚悟を決めて動物の死と向き合わなくてはならなかった。

それから私はがむしゃらに働いた。
時には心を鬼にしなくてはならないこともあった。
猫が亡くなって数ヵ月経った頃、心疾患で子犬の頃からうちの病院に通っていていたシーズー犬がいた。
6歳だった。
ある日飼い主は頻繁に起こす発作に耐えられなくなり「こんなに苦しむなら安楽死させてやってくれ。終わったら連絡して下さい」と言い、承諾書にサインをし、病院に犬を置いていってしまった。
私はやるせない気持ちでいっぱいだった。
安楽死させる直前、大沢は犬に話しかけていた。

「人間は自分のエゴで動物を飼う。今まであんなに可愛がっていたのに死に目には会いたくないという。勝手だな。でも俺はお前を殺さなくちゃならない。仕事だから。俺じゃ役不足かもしれないが、最期まで見ているぞ。お前は病気に負けず精一杯生きた。楽しいことよりも辛いことのほうが多かったかもしれない。助けてあげられなくてゴメンな。もう頑張らなくていい。次は人間に生まれてこい。美味い酒でも飲みに行こう。絶対だぞ。約束だ。」

大沢は優しい顔をしてそんなことを言っていた。
病院では泣いてはいけない。
私の不安は動物にも伝わる。この犬の最期の瞬間、不安な思いをさせてはならない。
私は涙をこらえて薬を注入した。
犬は安らかに逝った。
飼い主は遺体を迎えに来ると大声で泣き出した。
すると大沢は「あなたに泣く資格なんてない!」と声を荒げた。
私にとって初めての安楽死であった。

以上が私が体験した不思議な話だ。
母、父、妹、友達皆笑って「うそだーww」とバカにする。
しかし大沢だけは笑わなかった。
「そんなこともあるんだなあ。猫又とはよく言ったもんだ。動物は俺らなんかよりずっと人間の本質を見抜いているのかもしれんな」と言っていた。



後日談。
二年程前、大沢は

「独立する。お前もついて来てくるか?ついでに結婚してやってもいい。お前はどんくさいからな。このままじゃ行き遅れるぞ。」

なんて笑いながら言った。
今は結婚し、開業しました。
相変わらず生活はカツカツですが、大沢と私と猫一匹の三人で幸せに暮らしています。
大沢は
「15年経ったらこの猫も喋るだろう。もし喋るとき苦労しないように、色々な言葉を教えておこう。また会いたいな。猫又」
と言いながら毎日猫に話しかけているが一向にしゃべる気配はありません。



こんな話誰も信じてくれないし、私の夢だったのかもしれません。
でも、あの猫との出会いは私の価値観を大きく変えてくれたのも事実です。

今回妊娠が発覚し、新しい命を授かりました。
あの猫が教えてくれた事、大沢が教えてくれた事をしっかり胸に刻み、これから生まれてくる新しい命と向き合っていきたいと思っています。


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