霊体験じゃないけど、今だからこそ思い出して怖くなった話です。
Horror Cam Pic (4)

今から15年ほど前に半年ほどロンドンに留学していたことがあります。
フラット・ホテルというホテルとアパートが一緒になったような所で、部屋はバス、トイレ、簡易キッチンが着いているかいないか、ランクによって分かれていました。

1階(グランドフロア)には共同炊事場と共同トイレ、バスがあり、ロビーとダイニングを兼ねた場所もあり、テレビも設置されていて住人のサロンのようなところでした。

住人はほとんど大陸ヨーロッパからのビズネスマン、ビジネスウーマン、留学生がほとんどで、東洋人は私一人かと思っていました。

こういうところには必ず主みたいな人が居るものです。
ドイツからの留学生でゲオルクという年齢不詳の男子留学生が居て、本人は人類学専攻で来ていると言っていましたが、メカ・オタクで、どこからか電化製品を拾って来ては自分で修理したり、改造したりしていて、サロンのテレビもゲオルクが拾って来たテレビなんだそうです。

私も歓迎の意で不気味なラジカセを頂きましたが、帰国するまで重宝しました。

長期と言っても半年から1年ぐらい、短い人ならば1カ月で去ってしまうようなところでしたが、ゲオルクは3年も居る主でした。

「もう一人、日本人が居るよ。」

紹介してくれた人は韓国からの留学生でヨングという名の女性でした。
ゲオルクはいつも私のことを日本人と勘違いする。と言っていましたが、父親が貿易商で16歳まで日本に住んでいたヨングは日本人と勘違いされてもおかしく無いほど流暢な日本語を話し、他にもドイツ語、フランス語、スペイン語を話す語学に長けた人でした。

ヨングは父親の仕事の関係であちこちの国で生活していたせいか、社交的で知性にも溢れ、品格もあり本当の意味でのお嬢様といった雰囲気でした。

私はヨングと気が合い、すぐに仲良くなり、休日には一緒に買物に行ったり、一緒に料理を作って、サロンに集まったみんなと食べたりと、これならば高い部屋じゃなく、安い部屋でも良かったと後悔したほど楽しい日々が続きました。

ヨングとはお互いの部屋に行き来したり、ほとんど毎日と言っていいほど顔を合わせていました。

私があと1カ月ほどで帰国するぐらいの時でした。

名前は忘れてしまいましたが、ミスター・オクレをエリートサラリーマンにしたような30代前半ぐらいの韓国からのビジネスマンが新たに入居したのです。

愛想はとても良かったのですが、サロンにみんなが集まっていても中に入ることも無く、仕事の行き帰りで顔を合わす程度でした。

オクレが来てから私の回りで空気が変わり始めたのです。

ヨングはゲオルクのことを気に入っていたのは知っていました。
女性同士なので内心、趣味が悪いな・・・とは思いながらも好みは人それぞれですから、暖かい目で見守るしかありません。
ゲオルクもまんざらでは無かったようで、二人でこっそりと出かけることも多くなりました。

一方、オクレはヨングのことを追いかけ回していたのです。

ヨングはオクレに付きまとわれて気持ち悪いと私にグチを溢していましたが、私は私で恋のサヤ当てゲームを傍観しながら勝利はヨングかな?などと内心楽しんでいましが、帰国も近くなり、身の回りの整理も始め、荷物を送ったりと傍観どころじゃなくなりました。

学校が最後の日になり、クラスメイトたちがパーティーを開いてくれて、帰りがすっかり遅くなり、タクシーでフラットホテルまで帰ると、ホテルから、ヨング、ゲオルク、オクレの3人がコソコソと出て来て、小走りでホテル前の道を行くと止まっていた1台の車に乗り込むのをタクシーの中から目撃しました。

私がヨング、ゲオルク、オクレの3人を見たのはこれが最後です。
残り2日あったのでゆっくり休日を楽しもうとしたのですが、大騒ぎになってしまいました。

イタリア人のイオーネがゲオルクにテレビを修理してもらおうとゲオルクの部屋へ行ったら部屋はモヌケの空になっていたのです。
私が昨夜目撃したことを話すとヨングとオクレの部屋へも行ってみようということになり、行ってみると二人の部屋も空なんです。

ビックリしました。
管理人に問い合わせると私が3人を目撃したその日、3人が別々に急に帰国することになったと同じ理由で部屋を引き払っていたのです。
ものすごく後味の悪い帰国になってしまいました。

私が日本に帰ってから3カ月もしないうちに大韓航空爆破事件。
その数年後にはベルリンの壁崩壊に天安門事件。
怖くなったのは北朝鮮の拉致が浮上した最近です。

当時、まだ若くて安全が当り前の日本人だった私にはオクレがゲイでゲオルクがバイ、3人で駆落ちなんてお気楽なことを勝手に想像していましたが、ゲオルクは東ドイツ、ヨングかオクレのどちらかが北朝鮮。

ヨングが拉致されたのか?
それとも3人が工作員で狙われていたのは私だったのかもしれない。

今思い出せばおかしな事ばかりでした。
サロンではみんなお互いに家族やペットの写真を見せ合ったり、故郷や家族の話しをしていたのにヨングとゲオルクからは家族や国の話を聞いた記憶がありません。
ヨングとはほとんど日本語で会話をしていたのに日本の話をした記憶も無いんです。

あの時、タクシーの中から3人に声をかけていたらどうなっていたんだろう。
不可解な15年ほど前の出来事でした。


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