長くなるが、どうか聞いて欲しい。
unnamed (1)

俺がむかし住んでいた場所はド田舎で、町という名前は付いていたが山間の村落みたいなところだった。

家の裏手の方に山道があり、そこに「かなめさま」のお堂があった。

もともとは道祖神だったらしいが、隣町への道路が整備されてから、その山道自体が使われなくなり、通る人も絶えて寂れてしまった。

かわりにというか、いつ頃からか「かなめさま」に身をしのんで人に言えないような悩みを打ち明け、願をかける慣習ができた。
そんな成り立ちも今にして思うだけで、俺がガキの頃はとにかく「かなめさま」はタブーで、昼間でもそのあたりは近寄りがたかった。

見ても見られてもいけない。
牛の刻参りのようなものだ。

俺が5,6歳のころに化膿で膝が腫れて、かなり危なかった時、祖母が「かなめさま」に行って「かわりに病気を被ってくだされ」と願をかけたらしい。

おかげかすっかり膝は治ったが、あとでそのことを聞いてから、ますます俺の中でかなめさまは恐ろしい存在になった。



中学に上がったばかりの時、夏祭りの盆踊りが終わった。
そのあと、悪友たちと肝試しをしようということになった。

祭りという晴れを経たせいかみんな妙に躁状態で、普段なら絶対ありえないことを言い出した。

「二郎さんて青年団の人おるやろ」
一番年かさのAが言った。

「あの人が昔、かなめさまのお堂に入ったんやと。中にな、石ころがあったらしい」

俺は猛烈に嫌な予感がしたが、あっという間にかなめさまの中身拝見ツアーに決まってしまった。

山道の入り口に陣取って一人ずつお堂に行き、中を見てから戻ってくる。
それで最後に、見たものを一斉に言って確かめ合うということになった。

入り口は広いがすぐに道は曲がり狭くなる。
両側からは木の黒い影が迫って、じっとりとした湿気を感じた。

俺は負けると思ったジャンケンで勝って一番最後になった。
しかし、肝試しのセオリーではこれは失敗だった。

一人目の言い出しっぺでもあるAが帰って来るまで思ったより時間がかかった。
何度か昼間に行ったことがあったが、こんなに遠かっただろうか。

「おい、どうだった」と聞いたがAは「へへへ」と変な笑いをして答えなかった。
二人目、三人目と終了して四人目のKが青い顔をして戻ってきた。

「覚悟したほうがええぞ」
なあ、とうわずった声でKが言うと先の三人も意味ありげに頷いた。

残るは俺だけだったのでやつらは怖がらせる立場になったわけだ。
怖気づいているとツボにはまりそうだったので、俺は思いきって山道に飛び込んだ。

夏のせいか下生えが生い茂り、所々足元がよく見えないという恐怖があった。
山に入ると今更のように蝉の鳴き声に気が付いた。
何時くらいだったのだろうか。
蝉がこんなに遅い時間まで鳴いているのは妙な気がした。

心臓がドキドキしてきた。
小さなペンライトが一つあるきりで、あたりは完全な暗闇なのだ。
ひときわ蝉の声が大きくなり、少し広い所に出た。

そっと右手の方を照らすとそこに「かなめさま」がいた。
「あった」と思わなかった自分が一瞬怖くなったが、もう中を見るだけなので勇気を奮い起こしてお堂に近づいた。

人ひとりが入れるくらいの小さなお堂だった。
木製の観音開きの扉はスクリュウ螺子で床にとめられていた。

「わざわざ締めやがって」と最後のKに悪態をつくと何となく気が軽くなってすんなり開け放つことができた。

中には噂通り、ひと抱えほどの石が一つあるだけだった。
鉢巻のようにしめ縄が巻かれている様子はどことなくコミカルなものだったが、それを見た瞬間に息が止った。

その石に異様な圧迫感を感じて思わずむせてしまった。
背筋を嫌なものが這いあがる感じ。
ゴホゴホと咳きをして俯く。

その時、信じられないものが見えた。

視界の左端に白い服がすぅっ、と入ったのだ。
奥にのびる道のむこうから誰かがやってこようとしていた。
頭がパニックになり、とにかく「あれ」に会ってはいけないと思って、目の前に口をあけるお堂の中に飛び込むように隠れた。

扉を内側からしめると中は真っ暗だった。
心臓がバクバクしている。
人影を見た瞬間に無意識にペンライトを消していたのだ。
暗闇の恐怖よりも光が外に漏れることの方が怖かった。

あれは誰だろう。
かなめさまに何の用だろう。
決まっている。

<病気を不幸を、恐怖を被ってくれ>

やめてくれ、と心の中で叫んだ。
中にいるのは俺なんだ。
俺なんだ。

蝉の鳴き声が鼓膜を破りそうだ。
足音も何も聞こえない。
ただ、気配だけが扉の前にやってきた。

胸がむかついて吐きそうだった。
古びた木のお堂に異様な匂いが充満しているようだった。
饐えた匂いなんてもんじゃない。
まがまがしい空気。
瘴気とはこういうものを言うのだとぼんやり思った。

俺はひたすら脱力して腰が抜けた。
「あれ」は行ってしまっただろうか。
何も感じなくなった。
頭の芯のあたりが痺れていた。

石は?
石はどこだろう。

手で探ればぶつかるだろうが、ふと奇妙な予感があった。
かなめさまはこの「家」の中では石という形ではないのではないかと。
俺は咳きが喉の奥からせり上がって来るのをただただ止めようとしていた。

どれくらいたっただろうか。
陶酔にも似た疲労が体を覆い始めた時、急にとんでもないことが起きた。
お堂の前に気配が近づき、扉を開けようとしていた。

俺は心臓が止りそうになりながら必死で内側から扉を引っ張った。
しかし、狭いために中腰が精一杯で力が入らない。
気が狂いそうになった時、外から聞きなれた声がした。

「おい、Yか?Yやろ」
Aの声だった。

扉が開かれてペンライトの明かりが闇を切り裂いた。
友人たち四人が覗き込んでいた。

俺は嵐のようにやってきた安堵感で口がきけなかった。
「おい、出ろや。いくぞ」

四人は青白い顔をして急かすように俺を引っぱり出した。
そしてお堂の扉をバアンと締めるとあとも見ずに、早足でもと来た道を引き返しはじめた。

俺も置いて行かれまいと慌てて後を追った。
誰もが無言だった。

俺が遅いので心配して迎えに来てくれたのだろうか。
しかし、俺をバカにする軽口もなく、
入り口にたどり着くとろくに会話も交わさずに解散になった。

皆一様に硬い表情で、それが一層俺の不安感を煽った。
俺はあの白い人影がどこへ行ったのか気になったが、それを聞くことを拒む雰囲気だった。

かなめさまの山道を振りかえると、蝉の声が止んでいた。
二十年も前の話だ。

俺は色々あってその町を飛び出してきて、もう帰るつもりもない。
しかし、あの夜のことは忘れられない。

結局、Aたちとの間であの出来事は語らないという不問律が出来ていた。
それきり、かなめさまの話もしなくなった。

しかし、今振り返ると、それなりに思うところがある。

お堂の扉を開けたあの時、ペンライトもかざさずに何故道の先の人影の白い服が見えたのだろうと。

道祖神は障(さえ)の神とも言い、道にあって道中の安全を司るとともに、人里への招かれざるものをさえぎる役目を負っていた。

しかし、あの町で本来疫病や鬼の侵入を防ぐ役割を持っていた「かなめさま」は人間の一方的な怨念で穢れていたわけだ。
道祖神は病んでいたが、道は残っていた。

そして山道の入り口で待っていたAたちも「あれ」を見たのではないだろうか。
盂蘭盆に廃れた道を帰ってきた招かれざる者。
あの町にはそれを止める神がいなかったのだ。


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